東京高等裁判所 昭和51年(行コ)25号 判決 1977年5月10日
東京都杉並区久我山三丁目二番一五号
控訴人
北村和子
同所同番同号
控訴人
小島澄子
同所同番同号
控訴人
小島文子
右控訴人三名訴訟代理人弁護士
大隅乙郎
東京都杉並区天沼三丁目一九番一四号
被控訴人
荻窪税務署長
右指定代理人
伴義聖
同
海老沢洋
同
渡部渡
同
斎田信
右当事者間の昭和五一年行コ第二五号所得税課税処分取消請求控訴事件について、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件控訴をいずれも棄却する。
控訴費用は控訴人らの負担とする。
事実
控訴人ら訴訟代理人は、「原判決を取り消す。被控訴人が昭和四六年八月三一日付で控訴人らの各昭和四五年分の所得税についてした更正及び過少申告加算税賦課決定をいずれも取り消す。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」旨の判決を求め、被控訴人指定代理人は控訴棄却の判決を求めた。
当事者双方の事実上の主張及び証拠関係は、控訴人訴訟代理人において、「所得税法は申告主義をとつており、その関係上譲渡所得についても、当該資産の譲渡に関する契約の効力発生の日により収入すべき金額が確定したものとして申告がされたときは、これによるべきものである。そして、控訴人らは、居住用財産の譲渡所得の特別控除に関する措置法の改正に伴い、昭和四四年中に(三)の土地を譲渡した方が控訴人らに有利であると考え、右土地を売り急いでいたところ、昭和四四年一二月二七日、田中富作から分筆前の東京都渋谷区代々木五丁目四五番三(以下地番を表示する場合には、「四五番三」というように略記する。)宅地の西側三五、六坪を坪当り三三万五〇〇〇円で買い受けたい旨の申込みを受けたので、これを承諾し、同日、証約手附として金二〇万円の金員を受領したものである。右目的土地は当時分筆前であり、後日測量のうえ分筆することが予定されていたが、右測量の結果売買目的土地面積の正確な数値に増減を生ずることがあるとしても、もとよりこれにより売買契約の成立が妨げられるものではない。そこで控訴人らは(三)の土地につき昭和四四年中に譲渡所得があつたものとして確定申告をしたのであり、したがつて右譲渡所得が昭和四五年中に生じたものとすることは不当である。」と陳述し、被控訴人指定代理人において、「(一)控訴人らと田中富作間の(三)の土地の売買契約書(乙第二号証の二及び甲第一号証)の作成日付は昭和四四年一二月二七日となつているが、物件の表示は、「東京都渋谷区代々木五ノ四五ノ三ノ土地の内云々」となつている。ところで、四五番三宅地が同番一宅地から分筆された日時は昭和四五年一月一四日であるから、契約書に四五番三宅地が表示されるとすれば、それは右日時以降でなければならないのであり、この点からみても、前記売買契約書が作成されたのは昭和四五年一月一四日以降であるとしなければならない。(二)手附金二〇万円は昭和四四年一二月二七日に支払われたものでなく、昭和四五年一月になつてから支払われたものである。仮りに手附金が昭和四四年一二月二七日に支払われたとしても、右手附金は売買代金額に比較して異常に低額であり、このことと右同日ころ目的土地の面積、売買代金の単価等が定まつていなかつたことを合わせ考えると、右手附金授受の事実を根拠にして、右同日売買契約が成立したと認めることはできず、まして右のように売買対象土地の坪数や代金額その他契約の細目が未定の段階において収入さるべき金額が確定したとみる余地はない。」と陳述したほかは、原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する(但し、原判決六枚目表三行目に「昭和三五年分」とあるを「昭和四五年分」と訂正する。)。
理由
当裁判所も控訴人らの本訴請求はいずれもこれを棄却すべきものと判断するが、その理由は、次のとおり附加訂正するほか原判決の理由説示と同一であるから、これを引用する。
(一) 原判決一八枚目表七行目及び一九枚目裏一〇行目から一一行目にかけて、それぞれ、「証人田中富作」とある次に、いずれも「同吉岡忠」を加入する。
(二) 同一九枚目裏一〇行目に「ことが認められる。」とある次に、左のとおり加入する。
「(控訴人と田中富作間の(三)の土地の売買契約書(甲第一号証、乙第二号証の二)の作成日付は昭和四四年一二月二七日と記載されているけれども、四五番三宅地が同番一宅地から分筆された日時は昭和四五年一月一四日であるから、契約書に四五番三という地番の土地が表示されるとすれば、それは、特別の事情がない限り、昭和四五年一月一四日以降でなければならない。しかるに、前記売買契約書の物件の表示は「東京都渋谷区代々木五ノ四五ノ三ノ土地の内云々」とされているのであり、このことに徴しても、右契約書は昭和四四年一月一四日以降に作成されたものと推認するのが相当である。)」
(三) 同二〇枚目表九行目に「所有権が移転すべく」とあるのを「所有権が移転すべき」と訂正する。
(四) 同二〇枚目裏一行目から二行目にかけて「翌四五年一月中であると認めるのが相当である。」とある次に、左のとおり加入する。
「控訴人は、田中富作から昭和四四年一二月二七日に分筆前の四五番三の宅地の西側三五、六坪を買い受けたい旨の申込を受けてこれを承諾したと主張するが、上記認定を覆えして右主張事実を認めうる証拠はない(この点に関する田中証人の証言を採用し難いことは前記のとおりである。)。原審における証人北村啓二の証言によれば、控訴人らは、昭和四四年法律第一五号による租税特別措置法の改正により昭和四五年一月以降の居住用財産の譲渡についてはいわゆる買換制度が廃止されることになつたことに伴い、昭和四四年中に(一)ないし(三)の土地を譲渡した方が控訴人に有利であると考え、これを売り急いでいたこと、そのうち(三)の土地については買主があらわれたので、控訴人らとしてはできるだけ昭和四四年中にその売買契約締結の運びに至らしめる必要があつたことが認められるが、控訴人らにこのような事情があつたことと控訴人らが昭和四四年一二月二七日に手附金二〇万円を受領したことから直ちに右日に(三)の土地の売買契約が成立したものと認定すべきであるということはできない。かえつて右手附金が売買契約の成立を証する証約手附の性質を有するものと認め難いことは、前説示のとおりである。それ故、控訴人らの上記主張は採用できない。」
(五) 同二一枚目表一行目に「前記予約」とあるのを「前記合意」と訂正する。
(六) 同二一枚目表五行目から七行目までを次のとおり訂正する。
「右認定の事実によれば、(三)の土地の所有権が控訴人らから田中に移転し、同土地の譲渡により控訴人らにおいて収入すべき金額が確定したのは昭和四五年に至つてからであるというべく、仮に控訴人らの主張するように、収入すべき金額の確定時期を(三)の土地の所有権移転の時でなく、売買契約成立の時と解するとしても、目的土地の特定と売買代金額の決定を含む確定された内容の売買契約が成立したのは前記のように昭和四五年一月であるから、いずれにしても右(三)の土地の譲渡による所得の帰属する年度は昭和四五年であるというべく、この点に関する控訴人らの主張は採用できない。」
(七) 同二一枚目裏六行目「なお、」の前に「(」を加え、同末行「主張する。」から二二枚目表八行目までを次のように改める。
「主張している。ところで、もし控訴人らと田中との売買契約が解除されたままであれば結局(三)の土地の譲渡がなかつたことに帰し、控訴人らにつき右譲渡による所得があつたとすることができない理であるが、右(三)の土地がその後前記日に松永に譲渡されたこと自体及び控訴人らが右土地の売買に関して取得した代金額に変りがないことについては控訴人らと被控訴人の間に争いがなく、両者の争いはひつきよう右松永への譲渡が控訴人らからのそれであるか田中からのそれであるかにすぎず、この場合売買契約の解除があつたとすれば右松永への譲渡は控訴人らからの、解除がなかつたとすれば田中からのそれとなるという関係になるのであるから、控訴人らからの田中への譲渡が控訴人らの主張するように昭和四四年一二月二七日にされたというなら絡別、前記認定のように昭和四五年一月に入つてからのことである以上、右の控訴人らと田中との売買契約解除の有無は結局は(三)の土地の譲渡所得が昭和四五年に発生したとの結論になんらの影響を及ぼすものでないといわなければならない。)」
(八) 同二二枚目裏一〇行目に「甲第八、九号証」とある次に、「第一〇号証の二、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる乙第四、第六、第七号証」を加える。
(九) 同二四枚目裏八行目に「当事者間に争いがない。」とある次に、左のとおり加入する。
「成立に争いのない甲第四号証の二と弁論の全趣旨によれば、右建物は控訴人小島文子の母青木てるはの名義で登記されていたが、同人はすでに昭和三三年中に死亡し、右建物は(その権利移転の経路は明らかでないが)控訴人らの共有となつていたことが認められる。」
以上の次第であるから、原判決は相当であつて、本件控訴はいずれも理由がないから、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 中村治朗 裁判官 蕪山厳 裁判官 高木積夫)